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都築由浩
SFやらミステリやらホラーやらをライトノベルジャンルで書いている作家。
コミック原作・編集デザインなどその他さまざまな職業を兼業する。
クルマ・R/Cカー・自転車・ホビーロボットなど多趣味で、それらの道具や仕事の資料が散らばる自室が常にゴミ箱のような様相を呈していることから、巻末に『9畳のゴミ箱より』と記する。
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2008(C) Yoshihiro Tsuduki
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能勢騒動のあとをたどる
 ちょっとした縁で、山田屋大助という人物を知りました。
「大塩平八郎の乱」といえば学校でも習う江戸時代の太平の世を揺るがした大事件で、特に大阪では有名ですが、その直後、今の大阪府北部から兵庫県東部にまたがる地域で大規模な一揆を計画した人物です。能勢騒動とか山田屋事件とか呼ばれています。
 その一揆に参加する農民が集まる場所として、まず能勢の岐尼きね神社、景福寺、そしてここから旧池田街道を進んで大坂奉行の軍勢によって一揆が鎮圧され山田屋大助の死地となった三田市木器こうづきの興福寺を見に行ってきました。
 大阪市内からですと、道はまず豊中から池田へ向かう国道176号線。阪急池田駅をかすめてしばらく走り、能勢街道と呼ばれた国道173号線に入ります。ここは猪名川沿いの谷間を抜けるトンネルの多い道で、途中まではすぐ横を能勢電鉄が並走しています。道の駅能勢(くりの郷)を過ぎてすぐ、栗栖交差点を左に曲がると県道602号に入り、すぐに岐尼神社があります。

 この日はお祭りの準備の人が作業をしていて、絵面的にはちょっと残念なことになっていますね。
 安政時代の歌人・書家である阪正臣の歌碑があるそうですが、能勢騒動よりは後年の人物。能勢騒動に関する記述は見当たりませんでした。

 岐尼神社を出発してすぐ、「山田」という地名の集落がありました。山田屋大助は大阪市内で薬商を営んでいた人物ですが、平民の姓が許されなかった江戸時代のこと、呼び名にもなっている「山田屋」というその店の屋号は、彼の出身地であるここの地名からとったようです。当時とは様子が違っているでしょうが、やはり田畑が広がる谷あいの村でした。

 峠を一つ越えて猪名川変電所の横を通り過ぎると、すぐに杉生という交差点を北に曲がって景福寺に立ち寄りました。
 ここは本来京を目指していた山田屋大助一党が、大坂奉行所の追っ手から逃れるためにやってきた場所らしいです。寺は建て替えられており、ものすごくきれいになっていました。
 ここでもやはり伊勢騒動に関するような立て看板等は見当たらず、次の目的地に出発することにしました。
 県道12号線を南下して、六瀬というあたりで橋を渡ると、そこからが旧池田街道(県道319号→323号)です。峠道ではところどころセンターラインのない対面走行になりますが、それほど狭くはなくすれちがいに苦労はしませんでした。
 しばらく走って峠を一つ越えると、上佐曽利という地名が見えてきました。次に越えるのが大坂峠と呼ばれる峠で、ほぼ同じ道を山田屋大助一党もたどったようです。
 そして目的地の三田市木器にたどりつきます。当時は木器村と呼ばれる集落だったようです。

 旧池田街道の南側少し入ったところに、興福寺はありました。丘の麓の斜面にそって段々に、今は植え込みになっていましたが、これが塀だったらと思うとまるで小規模な砦のよう。
 鐘楼の下に設置された縁起書には「本寺は能勢一揆の指導者である山田屋大助の最後の地である。」ではじまる「山田屋事件」の記述もありました。ここまで来たかいがあったというものです。

 山田屋大助はここで大坂奉行所や池田家等の軍勢と戦い、仲間もろとも亡くなったそうです。飢饉に苦しむ故郷の農民のために立ち上がり、京を目指して、結局は京とは逆方向の三田に逃げて最後は敗れてしまったのでした。ちょっと悲しい話ですね。
 本当にちょっとした興味で「能勢騒動」という事件のあとをたどってみましたが、歴史にはいろんな登場人物がいて、その足跡は意外と身近なところにあるものなのだなあと実感できました。地元の歴史的人物探し、はまりそうです。
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| 研究(聖地巡礼&電子書籍) | 11:26 PM | comments (0) | trackback (x) |

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