2014,09,21, Sunday
艦これゆかりの神社を訪ねるシリーズ(今思いつきでつけた。たぶん明日には忘れてる)、今回は「重雷装巡洋艦・大井」と「新鋭軽巡洋艦・矢矧」です。 順序が前後してしまいますが、トップ画像は矢作川より。 重雷装巡洋艦・大井の艦内神社に勧請されていたのは、艦名の由来である大井川に近い、大井神社です。静岡県島田市の中心街JR島田駅にほど近いところにあり、近在の人々の尊崇を集めいているようでこの日も七五三のお宮参りにたくさんの家族連れが訪れていました。 神社には駐車場もありますが、けっこういっぱいだったので私はすぐ近くの商店街のコインパーキングを利用しました。 鳥居から結構長く、石垣の参道が続きます。この石垣は江戸時代大井川の川越人足が毎日の仕事の終わりに河原から一つずつ石を選んで持ち帰って作ったものだそうです。当時戦略的な理由で橋が架けられず「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」と言われた大井川ならではの話ですね。 その先にある石の太鼓橋と左右の平橋も、江戸時代に造営されたものとのこと。当時の川越業者の隆盛がわかります。 こちらが大井神社の拝殿。前述した通り参拝者が多く、かなりタイミングを選んで撮影しました。拝殿の中にはたくさんの人が入って七五三の神事が行われています。 境内に巡洋艦・大井との関連を示すものは見当たりませんでしたが、「国のために亡くなられた島田市出身の英霊一千九百余柱を祀った」静霊神社と、「日清日露戦役記念之碑」がありました。 境内駐車場の近くにあった売店。たいへん趣があったので思わず撮影してしまいました。飲み物とソフトクリーム、それに駄菓子が売られていました。 大井神社から東名高速を使って1時間半くらい、愛知県岡崎市の矢作川の河川敷すぐ脇にあるのが、「矢作神社」です。「郷社」とされていていわゆる式内社とかではありませんが、その歴史は古く、由来は大和武尊に遡ります。南北朝末期には新田義貞が足利尊氏との戦の前に参拝したという話も残っており、武張った逸話が多いのはなんとなく艦これでの矢矧のイメージとも合います。 上画像は矢作川の土手の上から。この坂道を下っていった先に鳥居があります。 わたしが訪ねた時には無人でしたが、神社境内には大和武尊の巨大な陶像や新田義貞ゆかりの「うなり石」などがあり、簡素ですがよく手入れされた綺麗な神社でした。神社には駐車場はありませんが、矢作川の土手を越えた河川敷には舗装された駐車場が整備されていて、私もそこを使わせてもらいました。トップ画像はその駐車場の脇から撮影した矢作川です。 以前からこの艦内神社めぐりの資料としてつかわせてもらっている同人誌「かんたんのゆめ」さんのwebサイトを見つけたので、紹介しておきます。こちらからどうぞ。艦内神社リストもありますので、神社めぐりを考えている方はとりあえず近くの神社からはじめてみてはどうでしょうか。
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| 研究(聖地巡礼&電子書籍) | 11:41 PM | comments (0) | trackback (x) | |
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