2018,11,27, Tuesday
![]() 岡山県倉敷市真備町に行ってきました。 真備町と言えば西日本豪雨で大変な被害を受けた地として有名になってしまいましたが、なんと戦時中には横溝正史が疎開していてここで金田一耕助モノの最初の短編『本陣殺人事件』を執筆したのだそうです。 その縁で毎年開催されているのが「千人の金田一耕助」というイベント。要するに、金田一モノに登場する人物のコスプレをして横溝正史と金田一耕助にゆかりの地を訪ねてまわろうというものです。 で、私が現地を訪れたのはそのイベントの翌日でした。残念ながら自宅の用事があってイベント当日は動きが取れなかったのです。 イベントの日は人も多いだろうし(ブログ用の画像はできるだけ人物が映り込まないように気をつけています)駐車場も混んでいるかもしれない……と思うことにしました。 ![]() ![]() 清音駅はJRと井原鉄道の乗換駅になっていて、味わいのある古い駅舎の脇に金田一耕助の顔出し看板が設置されていました。駅の周辺にはいくつか有料の駐車場があり、イベント時でなければ駐車場に困ることはないでしょう。私も近くの1日300円のコイン駐車場にクルマをおいて、ここから歩くことにしました。 ちなみに清音駅があるのは総社市で、歩きはじめてすぐに高梁川をわたると倉敷市に入ります。 ![]() ![]() ![]() 宿場町を出て田んぼの中を抜けるまっすぐな道を進んでいくと、四つ角に小さな祠が見えてきます。これが「濃茶のばあさん」と呼ばれている祠。もちろん、『八墓村』に登場した「濃茶の尼」の元ネタです。 ![]() ![]() この祠から少し坂道を上ったところにあるのが、「横溝正史疎開宅」です。 かなり立派な古民家で、中にはこの家で撮影された江戸川乱歩との写真なども展示されていました。 水害の水はこの疎開宅の20メートルほど手前まで来ていたそうで、ギリギリで被災を免れたのだそうです。 ![]() ここからさらに緩い坂道を上っていったところに、「千光寺」という名前の寺があります。そう。『獄門島』で「鶯の身をさかさまに初音かな」に見立てた殺人事件が起こり有名な「キが違ってるが仕方がない」という言葉が発せられた、あのお寺のモデルです。 千光寺の梅の古木を見上げて感慨に耽ったあとは、濃茶の祠まで来た道を戻り、ウォーキングコースの復路に入ります。 横溝正史お気に入りの散歩コースで、『悪魔の手毬歌』でお庄屋さんの家の近くにあった池のモデルと言われている大池の横を通る遊歩道を抜けると、『真備ふるさと歴史館』に到着します。 ここには真備町の歴史的な資料と一緒に横溝正史関係の資料も展示されています。特に、亡くなる直前まで『悪霊島』を書いていたという、世田谷の書斎にあった執筆机と執筆道具類がご自慢だそうです。 ![]() 歴史資料の中にも、金田一モノの元ネタになったとおぼしき地名や人名が多数あり、今も新しい発見があるのだと説明して下さった館長さんの熱心さが印象に残りました。 ふるさと歴史館を出るとすぐに、『本陣殺人事件』の一柳家のモデルとなった屋敷跡地があります。が、ここは現在はうっそうとした竹林。ここには「離れ」もあり、またすぐ横には水車小屋(現在はポンプ小屋)もあったそうで、おそらくここが一柳家のモデルだったのだろうということでした。 そこからまた田んぼの中の道をしばらく歩くと、大きな郊外店舗が立ち並ぶ国道沿いの道に出て、川辺宿駅に到着です。 駅の時刻表を見ると、清音駅行きは約70分に1本のペース。不運なことに発車直後でした。GoogleMapで検索すると、清音駅までは徒歩36分と出たのですが、ここまで歩いてきてかなり疲れていたので1時間待つことにしたのでした。まあ、急ぐたびでもないし、折角ここまできたのだからローカル線に乗っておくのも悪くないと思ったので。 ただ単に作中に登場した場面のモデル地をいくつか巡っただけではなく、田んぼの中に点在する古い民家や、丘の斜面に沿って並ぶ屋敷群、その奥にある千光寺……。金田一耕助が事件の謎を追って走り回ったのと同じ風景がそこにはありました。その中をぼちぼちと歩きながら、横溝作品にひたれる時間を過ごすことができました。
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| 研究(聖地巡礼&電子書籍) | 03:39 PM | comments (0) | trackback (x) | |
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